『ダンサー』/"THE DANCER"




(C)LEELOO PRODUCTIONS-TF1 FILMS PRODUCTION 1999
10月7日より丸の内ピカデリー2ほかにて公開

1999/フランス/1時間34分/スコープサイズ/字幕翻訳:石田泰子/ドルビーデジタル・SRD/製作協力:シーサイド・プロダクションズ&日本ビクター
提供:日本ビクター・テレビ東京・日本ヘラルド映画
配給:日本ヘラルド映画


◇提供:リュック・ベッソン ◇監督:フレッド・ギャルソン ◇脚本:ジェシカ・キャプラン、リュック・ベッソン ◇原案:リュック・ベッソン ◇キャスティング:トッド・タラー、ナタリー・シェロン ◇撮影:ティエリー・アルボガスト ◇美術:ダン・ヴェイル ◇録音:ピエール・エクスコフィエ ◇ミキシング:フランソワ・グルト ◇編集:シルヴィ・ランドラ ◇音楽:パスカル・ラファ、ポズ ◇音楽スーパーヴァイザー:ハッピー・ウォルターズ、ゲイリー・ジョーンズ ◇製作主任:ティエリー・ギルマール ◇製作総指揮:ベルナール・グルネ ◇製作:リールー・プロダクションズ ◇共同製作:TF1フィルム・プロダクション

◇キャスト:ミア・フライア、ガーランド・ウィット、ロドニー・イーストマン、ジョシュ・ルーカス、フェオドール・アトキン、カット・キラー



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【解説】

私の夢。声がなければ、かないませんか。

◆リュック・ベッソンの原点が、そして集大成がここにある!

ニキータ(『ニキータ』)、マチルダ(『レオン』)、リールー(『フィフス・エ レメント』)、ジャンヌ(『ジャンヌ・ダルク』)…ベッソン映画の繊細にして凛々しいヒロインにまた一人、新たな名前が加わった! その名は“インディア”。彼女は、見るものを虜にする天才的なダンサーだが、言葉を発することができない。
ベッソン作品ではいつも、主人公に何らかの問題が与えられる。そのため、主人公と周りの世界との間に“障害”や“距離”ができる。彼らはその中で悩み苦しみながらも解決策を見いだしていく。ベッソンは、その心情をある時はリリカルに、そしてある時は力強く描くことによって、普段見過ごしてしまっている“時代が抱える問題”をあぶりだす。それは、長編デビュー作「最後の戦い」から始まり、『グレート・ブルー』を経て、前監督作『ジャンヌ・ダルク』に至るまで、一貫してベッソンがこだわり続けた世界だ。そして今、そのベッソンの原点が、一つの集大成として『ダンサー』に見事なまでに結実した。



◆声を失くしたダンサーが夢につまずいた時、
一人の若者が現れた…


ニューヨークで兄のジャスパーと暮らすダンサーのインディアは、毎週土曜日にクラブに出かけ、スゴ腕のDJたちの挑戦を受けて踊る。テクノ、ファンク、ジャズ、ソウル…あらゆるジャンルの音楽に、天性のずば抜けたリズム感で即座に踊りだすインディア。それは口のきけない彼女に与えられた、言葉以外の表現方法だった。
しかし、ブロードウェイで踊るという夢をかなえるオーディションで、インディアはそのハンディだけを理由に落とされてしまう。厳しい現実に打ちのめされた彼女の前に、若い科学者が現れる。彼女のダンスに心を奪われた彼は、“言葉を発する装置”で彼女に協力するというのだ…。



◆「いつも私を驚かせてくれる」
ベッソン大絶賛のニュースター、ミア・フライア


インディア役には、『フィフス・エレメント』のミア・フライアを大抜擢。ニューヨークで生まれ、12歳でパリに移り住んだミアは、モデルだった母親から受け継いだ恵まれたプロポーションと天性のリズム感で、早くから才能あふれるダンサーとして注目されていた。ベッソンとの出会いは17歳の時。ベッソンが監督したセルジュ・ゲンズブールの音楽クリップで振り付けを任されたのだ。そして今回、ダンサーを主役にした脚本を書き上げたベッソンの頭の中には、最初からミアしかなかった。
インディアに魅せられ、彼女を助けるアイザックには『モブスターズ 青春の群像』のロドニー・イーストマンが扮している。彼女を助けたいという、いちずな情熱を研究にかける姿をピュアに演じている。



◆ベッソンも認めた新しい才能と彼を支えるスタッフたち

監督は『フィフス・エレメント』と『ジャンヌ・ダルク』で助監督を務めたフレッド・ギャルソン。『レオン』と『フィフス・エレメント』のメイキング・フィルム、『TAXi』の音楽クリップを監督し、ベッソンにその才能を認められる。本作が初監督となる彼を撮影監督のティエリー・アルボガスト、プロダクション・デザイナーのダン・ヴェイルらベッソン作品の常連スタッフが強力にサポートする。


◆最先端音楽シーンが、ここに凝縮!

音楽は、『フィフス・エレメント』のメイキング・フィルムのパスカル・ラファが担当した他、ジェームズ・ブラウン、オーティス・レディングらソウルの大御所から、プロディジー、ファット・ボーイ・スリム、フリースタイラーズ、スーパーファンク、エミリア・トリニらテクノやハードコア、ファンクまで、今一番注目のミュージシャンの音楽が全編に流れるのも聞き逃せない。


 


【ストーリー】

彼女の情熱:ダンス
彼女の夢:ブロードウェイで踊ること
彼女の問題:話すことができない


ニューヨークで、たった一人の家族である兄ジャスパー(ガーランド・ウィット)と暮らすインディア(ミア・フライア)。口のきけない彼女は、手話ができない人たちとのコミュニケーションは、もっぱらジャスパーの“通訳”に頼っていた。
昼間は工場で働いているジャスパーだが、土曜の夜になるとインディアのマネージャーに早変わり、二人はクラブに繰りだす。インディアはそこで、ダンサーとして舞台に立ち、スゴ腕のDJたちの挑戦を受けるのだ。テクノ、ファンク、ジャズ、ソウル…DJブースから、あらゆるジャンルの音楽が次々と流れる。インディアは、天性のずば抜けたリズム感で即座に踊りだす。彼女のダンスに観客は熱狂、今夜もインディアの勝利だ。ダンス…それは口のきけない彼女に与えられた、言葉以外の表現方法だった。
普段は聾唖学校の子供たちにダンスを教えているインディアの夢は、ブロードウェイで踊ること。ある日、ジャスパーの職場の同僚ブルーノが、街角で見かけたブロードウェイの舞台のオーディションにインディアの名前で申し込む。ブルーノは、妹はスターになるからと真面目に働かないジャスパーに迷惑しながらも、インディアの夢を応援しているのだ。

オーディション当日、本人以外はお断りと、ジャスパーは会場から追い出される。舞台で一斉に踊るダンサーたちは、審査員の合図で次々と振るい落とされていく。インディアのダンスはひときわ輝き、ついに最終選考を突破する。ジャスパーが、我慢できずにこっそりと会場にもぐり込んだ時、合格者たちが集められ、名乗るように言われる。インディアとジャスパーの顔に緊張が走る。彼女の番がやって来た。一瞬の沈黙のあと、意を決して手話で答えるインディア。審査員は表情を変えると、彼女に帰るようにと告げる。飛び出したジャスパーは、審査員に激しく抗議するが、舞台の練習中にどうやって意思を伝え合えばいいんだと言われてしまう。

土曜の夜のクラブ。インディアのダンスを心待ちにしている若者がいた。彼の名前はアイザック(ロドニー・イーストマン)、才能にあふれた科学者だが、ある装置の開発が暗礁に乗り上げて苦しんでいた。そんな彼を心配した友達のステファン(ジョシュ・ルーカス)が、先週の土曜日、気分転換にと彼をこのクラブに連れて来たのだ。アイザックは一目でインディアのダンスに魅せられる。しかも、彼女から受けたインスピレーションで、開発が成功しそうなのだ。ところが、音楽にのって登場したダンサーはインデイアではなかった。彼女はオーディションに落ちたショックで、家でふさぎこんでいたのだ。


クラブの前でインディアを送り迎えしていたルディの車を見つけたアイザックは、自分は警察官だと偽って、インディアの自宅に連れていくようにと脅す。突然押しかけてきたアイザックをジャスパーは追い返そうとするが、インディアは彼の真っ直ぐで純粋な瞳に何かを感じる。「インディアの助けになる発明があるんだ。だから協力してほしい」アイザックの研究とは、体の動きを音や言葉に変える装置の開発だった。
反対するジャスパーに、これは自分の望みだと強く主張して、インディアはアイザックの研究所に通う。アイザックは全く手話ができないのだが、彼の情熱がインディアに伝わり、二人の心は通い始める。「こんなに幸せそうな妹は見たことがない」妹が離れていくのではないかという不安にかられていたジャスパーも、彼女のために協力を決意、とうとう装置は完成に近づいた…。



 


【キャスト&スタッフ】

■ミア・フライア(インディア)

1972年2月12日ニューヨークに生まれ、グリニッジビレッジで子供時代を過ごす。 国籍はアメリカで、インド、アフリカ、ギリシャ、チェコの血が流れている。父親は 新聞記者兼作家、母親はモデルをしていた。母親が出演していたシャンタル・トーマス、ティエリー・ミュグレー、ココ・シャネルなどのファッション・ショーの舞台裏で遊びながら育つ。ダンサーとしての勉強は、有名なダンス・スクール、アルバン・アーリーで始める。12歳の時、家族でパリへ移り住む。この時、ミアはただの一語もフランス語を話せなかった。しかし、猛勉強の末、名門として知られる学校に入学、完璧なフランス文化を身につける。同時にマレー地区のダンス・スクールに通い、まもなくその天才的な才能から、最年少のインストラクターとなる。彼女の生徒の中には、クローディア・シーファーなどもいた。
リュック・ベッソンと初めて出会ったのは、17歳の時。ベッソンが監督したセルジ ュ・ゲンズブールの音楽クリップ「モン・レジオネール」の振り付けを任され、たちまち注目される。世界的に有名になったのは、『恋のマカレナ』の振り付け。その他、『ニキータ』に端役で出演、『フィフス・エレメント』では主役のミラ・ジョヴォヴィッチの動きを指導する。そして今回、ベッソンの強い要望で、『ダンサー』の主役に大抜擢、素晴らしいダンスと演技で期待に応えている。



■リュック・ベッソン(提供・脚本・原案)

1959年パリ生まれ。両親がスキューバ・ダイビングのインストラクターだったため、地中海沿岸各地で子供時代を過ごす。海洋生物学者になる夢を持っていたが、潜水中の事故で海に潜ることができなくなり断念する。17歳の時に学校を中退し、ゴーモン社でニュース映画のアシスタントとして働き始める。1978年にはアメリカに渡り、ハリウッドで短期間、映画製作に携わった。 その後フランスに戻り、自身の製作会社“Les Films Du Dauphin”を設立し、1982年、短編『最後から2番目の男」をアヴォリアッツ映画祭に出品。この作品は大きな注目を集め、翌1983年処女長編『最後の戦い』で同映画祭審査員特別賞と批評家賞を受賞する。以後、『サブウェイ』(1985)『グレート・ブルー』(1988/後に完全版が『グラン・ブルーグレート・ブルー完全版』として公開)『ニキータ』(1989)『アトランティス』(1991)といったヒット作で国際的に知られるようになる。
1994年、『レオン』(後に『レオン完全版』公開)でハリウッド映画に進出、続く『フィフス・エレメント』(1997)ではセザール賞監督賞を5度目のノミネートにして初受賞する。また『ジャンヌ・ダルク』(1999)でも同賞にノミネートされる。
プロデューサーとしては、ディディエ・グルッセの初監督作『神風』(1986)、パトリック・ブシテー監督・主演の『つめたく冷えた月』(1991)、パトリック・グランペレ監督のカンヌ国際映画祭ジュニオール賞受賞作『シルガ』(1993)、ジェラール・ピレス監督『TAXi』(1998)、ジェラール・クラヴジック監督『TAXi2』(2000)などで製作、または製作総指揮を務めている。ゲイリー・オールドマン初監督作の『ニル・バイ・マウス』(1997)では、英国アカデミー賞のアレグザンダー・コーダ賞英国映画作品賞を受賞している。



■フレッド・ギャルソン(監督)

1970年生まれ。1993年夏、学生だったギャルソンは、ベッソン監督の『レオン』で、当時12歳のアメリカ女優、ナタリー・ポートマンをケアするスタッフとして採用される。それをきっかけに映画の仕事を始め、ヴィム・ヴェンダース、ミケランジェロ・アントニオーニ、マルコ・フェレーリなどの助監督を務める。ベッソン監督作品では、『フィフス・エレメント』と『ジャンヌ・ダルク』の助監督を務めた他、『レオン』と『フィフス・エレメント』のメイキング・フィルムを監督する。また、ベッソ ン製作『TAXi』の音楽クリップの監督も任される。これらの仕事でベッソンに高く評価され、今回『ダンサー』で見事初監督を飾り、17歳の時の“30歳までに監督になりたい”という夢をかなえた。


■ティエリー・アルボガスト(撮影)

フランスを代表する撮影監督の一人。ベッソン監督作品は、『ニキータ』『レオン』『フィフス・エレメント』『ジャンヌ・ダルク』を担当、『フィフス・エレメント』ではセザール賞にノミネートされている。その他の主な作品は、アンドレ・テシネ監督、カトリーヌ・ドヌーブ主演の『私の好きな季節』(1993)、『パリ空港の人々」(1993)、ロマーヌ・ボーランジェ主演の『アパートメント』(1995)、ジュリエット・ビノシュ主演の『プロヴァンスの恋』(1995)、パトリス・ルコント監督『リディキュール』(1996)、ニック・カサヴェテス監督、ショーン・ペン主演の『シーズ・ソー・ラヴリー』(1997)、エミール・クストリッツァ監督の『黒猫・白猫』(1998)など。1997年のカンヌ国際映画祭では、『フィフス・エレメント』と『シーズ・ソー・ラヴリー』の仕事に対して、高等技術委員会賞がおくられた。


■パスカル・ラファ(音楽)

その希有な歌声とインスピレーションに富んだ音楽で、聞く者を魅了するパスカル・ラファは、ソウルとブルース、すなわち黒人音楽界で最も偉大な歌声の数々を子守歌として育つ。物心がつくと同時に、早くも才能豊かな歌手として頭角を現す。彼の音楽好きの母親は、すぐに息子の資質を見抜き、8歳の時から様々な歌声コンクールやラジオのオーディション番組に彼を参加させる。そのような場で、彼は常に満場一致の喝采を浴びていた。
それから数年後、初めて自分の音楽グループを結成し、16歳の時、初のシングルを発売する。その後は、映画音楽の作曲やコマーシャルの仕事、あるいは他のアーティストのアルバム製作を手がけ、名実ともに音楽家として一本立ちを果たす。以後、ライヴ・アーティストとして経験を積みながら、ポズというグループと出会い、現在も 仲間として共に活動している。 1996年、彼はポズと共に『フィフス・エレメント』のメイキング・フィルムの音楽、ならびに同映画の予告編の音楽を製作する。1997年、初のアルバムが発売される。