『黒いオルフェ』
9月9日よりシネマライズにてモーニングショー

1959年/フランス・ブラジル合作/1時間47分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
宣伝:ギャガGシネマ

◇製作・監督:マルセル・カミュ ◇脚本:ジャック・ヴィオ ◇原作:ヴィニシウス・ヂ・モライス ◇撮影:ジャン・ブールゴワン ◇音楽:アントニオ・カルロス・ジョビン、ルイス・ボンファ

◇キャスト:ブレノ・メロ、マルペッサ・ドーン、ロールデス・デ・オリヴィエラ、レア・ガルシア、アデマール・デ・シルヴァ、ワルデタール・デ・リーザ



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【解説】

◆鮮烈なカラーと音楽が躍動する映画的興奮

リオ・デ・ジャネイロの名物、年に一度のカーニヴァルは、現代のエクスタシーである。サンバ、サンバの強烈なリズムの饗宴の中に、ギラギラする鮮烈な原色、思い思いの仮装をこらした黒い肌が夜を徹して踊り狂う。地方からカーニヴァル見物にやってきた娘ユリディスとギターのうまい市電の運転手オルフェ。踊り明かすうち、ふたりに熱い恋が芽生える。が、ガイコツ<死>の仮面をつけたストーカーにつきまとわれた彼女は事故死してしまう。しかし、死を超越した<永遠の愛>に結ばれようと街中をさまようオルフェ…。

ギリシャ神話「オルフェ」の物語をオール・ブラック・キャストで現代によみがえらせ、マルセル・カミュ監督の生涯を代表する傑作になった『黒いオルフェ』。
「オルフェ」の物語はさまざまな形で劇化、映画化されてきた。1956年にブラジルの新しい波を代表する劇作家ヴィニシウス・モライスが背景を現代のブラジルにおきかえ、ブラック・キャストで劇化した舞台が土台になっている。初演の翌年、はじめてブラジルを訪ねてカーニヴァルの興奮を体験し、舞台を見て感激したカミュ監督は、短期間に4回もブラジルを訪ねて映画化の構想を練り、すべてをブラジル・ロケ、現地録音で完成した。
出演者のほとんどがオーディションで一般から選ばれたことも特色のひとつ。オルフェ役のブレノ・メロはサッカー選手である。ユリディス役のマルペッサ・ドーンは歌とバレエの練習をしていた。





音楽は当時ブラジルで急速に盛り上がっていたボサノヴァを取り入れ、とくに「フェリシダージ(悲しみよさようなら)」「カーニバルの朝(黒いオルフェ)」はわが国を含む全世界で大ヒットし、一大ボサノヴァブームを巻き起こした。また、フランス映画界で『ぼくの伯父さん』(1956)『ひと夏の情事』(1959)などでカラーの名手とうたわれるジャン・ブールゴワンの映像は、世界3大美港のひとつといわれるリオの美しい風光と郷土色をあますところなくとらえ、カーニヴァルの強烈で圧倒的な色彩美と対比する。

1959年カンヌ映画祭グランプリ、1960年米アカデミー賞外国語映画賞を受賞、日本では1960年度「キネマ旬報」ベストテンで外国映画6位に選ばれた。



 


【ストーリー】

◆運命のまま、<永遠の愛>へと導かれてゆくふたり…。

南米ブラジル、リオ・デ・ジャネイロの港を見下ろす高い丘の貧しい人たちの集落では年に一度のカーニヴァルを明日に控え、女たちは晴れの衣装作りに余念がなく、子供たちはタコあげに夢中になっていた。オルフェ(ブレノ・メロ)もこの丘の住民である。
ギリシャ神話のハープがうまいオルフェのように、このオルフェもギターの名人だった。彼のギターには鳥も羊も聞き入り、近所の子供たちはオルフェの歌が、毎朝、太陽を昇らせると信じて尊敬していた。
オルフェは市内電車の運転手である。カーニヴァル見物客を満載した船が着く。地方からはじめてリオにやってきた娘ユリディス(マルペッサ・ドーン)は、オルフェが運転する満員電車に乗った。彼女は自分を追い回す謎の男を避けて、終点から遠からぬ従姉セラフィナ(レア・ガルシア)の家を訪ねてきたのである。電車が終点に着いても降りようとしない娘を見てオルフェは胸騒ぎを覚えた。オルフェにはグラマー美人の婚約者ミラ(ルールデス・デ・オリヴァイラ)がいる。
従姉の家に着いたユリディスは、となりの家から聞こえる美しい男の歌声に聞き惚れた。昼間、電車を運転していたオルフェがギターを弾きながら歌っていた。見つめ合うふたりは激しい心のときめきを感じる。





その夜はカーニヴァルの練習。サンバのリズムにオルフェとユリディスは酔ったように踊り続けた。突然、ユリディスを追う謎の男(アデマール・ダ・シルヴァ)が、死神の仮面をつけて姿を現わし、彼女はその男を見るなり恐怖の色を浮かべて逃げ出し、オルフェは男に捕まって失神した彼女を奪い返した。

カーニヴァルの当日、ユリディスは従姉セラフィナの衣装を借りて、オルフェと熱狂的な踊りの輪の中に入り、我を忘れて踊りまくった。リオの大通りはサンバを踊る人々にあふれ、七色のテープと紙吹雪が飛びかった。ミラはオルフェと踊るユリディスに気づいてつかみかかり、逃げるユリディスの行く手に謎の男が立ちはだかった。ユリディスは市電の車庫に逃げ込み、謎の男に電車の屋根まで追いつめられた。彼女の手が高圧線にかかったとき、かけつけたオルフェは車庫の中を明るくしようと電源スイッチを入れたとたんにスパーク、ユリディスは閃光とともに崩れ、落ち、感電死した。オルフェも男の一撃に気を失った。ユリディスの遺体を乗せた救急車は謎の男に導かれて霊界のトンネルに入る。
彼女の遺体を探し求めるオルフェは深夜の街を病院から警察へさまよった。警察の老いた警備員に導かれて祈祷所に入り、無心に祈るオルフェはユリディスの声を聞いた。
「オルフェ、懐かしいオルフェ。こちらを見てはだめよ。永遠に会えなくなる!」。
恋するオルフェは思わずその方向を振り向いてしまった。そこは霊界の祭壇であり、老婆の霊媒が祈祷する最中にユリディスの声を出したのであった。
夜が明けようとするとき、オルフェは死体安置所で見つけたユリディスの遺体を抱いて地上に戻った。嫉妬に狂ったミラはオルフェの家に放火した。ミラとバッカスの巫女たちが投げた石が当たったオルフェは、ユリディスを抱いたまま断崖から落ち、ふたりの死体は重なって横たわり、永遠に結ばれた。
今朝も陽が昇る。子供たちはオルフェのギターをかき鳴らし、踊りながら新しい日を迎える。





 


【キャスト&スタッフ】

■マルセル・カミュ(監督)

『黒いオルフェ』によって知られるフランスの監督。美術を学んだだけに鮮烈な造形美と色彩感覚に卓越している。1912年4月21日、ベルギー国境近いアルダンヌ県、ジャップに生まれた。パリに出てデッサンと彫刻の教師をつとめ、第2次世界大戦に従軍して4年間ドイツ軍の捕虜になり、収容所で演劇活動を行って演出を担当したり、しばしば映画鑑賞会を開くうちに映画に関心を抱くようになった。戦後はしばらく画家、彫刻家として生計を立てていたが、1945年にアンリ・ドコアン監督と知り合って映画界に入り、同監督の『弾痕』(1945)の助監督になり、ジャック・ベッケル、マルク・アレグレ、アレクサンドル・アストリュック監督などの助監督をつとめ、1950年から短編映画を監督するようになった。

サイゴンを舞台にしたフランス青年とヴェトナム人女性との恋を描く長編第1作『濁流』(1956)は強烈なエキゾティズムを放ち、フランス・シネマ大賞第2位に入った。つづく『黒いオルフェ』は国際的な評価を呼び、一流監督としての地位を固めた。カミュがこの映画を創る決意を決めたのは、1957年2月にリオ・デ・ジャネイロにカーニヴァル見物に行ったときであった。彼はそのときの印象を語る。
「リオの貧しい人々は町を見下ろすモロ(丘)の上に閉じこもって、金持ちがもたらす文明を拒否していた。私は映画の主人公をこのモロの人々にしようと決心した。彼らは迫害されてきた悲しみと苦しみをカーニヴァルにぶちまける。私はそうした悲哀にギリシャ神話のオルフェを重ね合わせたとき、芸術的な興奮に震えた」
『黒いオルフェ』で有名になったカミュは、数少ない作品に東南アジアまたは南米のエキゾティズムに対する憧れと、西欧的な都会文明と自然の野性的な対比に力をこめてきた。
『熱風』はブラジルの森林にダイアモンド争奪をめぐる憎悪の葛藤、『天国の鳥』はカンボジアを舞台に死で結ばれる若い男女の愛を描いた。セルジュ・ゲンズブール主演の青春映画『ふたりだけの夜明け』にも独自の雰囲気描写を見せた。映画界に入ったのが33歳と遅く、46歳で監督デビューを果たしただけに監督生活は長くはなかった。1982年1月13日に死去した。
監督作品『激流』(1956)、『黒いオルフェ』(1959=カンヌ映画祭グランプリ、米アカデミー外国語映画賞)、『熱風』(1960)、『天国の鳥』(1961=TV放送題名「遙かなる慕情」)、『世界の歌』(1965=映画祭上映)、『ふたりだけの夜明け』(1967)、『ニューヨークの男』(1967=未公開)、『狂った時代』(1968=未公開)、『大西洋の壁』(1970=未公開)、『野生の夏』(1970=未公開)、『バヒアのオタリア』(1977=未公開)。



■出演者たち

出演者全員が黒人で大部分は演技経験のない一般人から選ばれた。オルフェ役のブレノ・メロはリオのサッカー・チームのメンバーであり、カミュ監督のオーディションによって発見された。演技経験はない。ユリディス役のマルペッサ・ドーンはパリでのオーディションで見いだされた。父親はフィリピン人で母親はアメリカ人。女優を志してパリで歌とバレエの勉強をしていた。死の仮面をつけた、謎のストーカーを演じるアデマール・ダ・シルヴァは、ブラジルが世界に誇る三段跳びの名プレイヤーである。


 


【音楽について】

◆サンバとボサノヴァ、ボンファ&ジョビンの音楽

ブラジルではポルトガルの民族音楽ファドのリズムと、アフリカから移植された黒人音楽が入り交じって特色あるリズムによる大衆音楽をつくりだした。ブラジルを代表するリズムは世界で親しまれてきたサンバとバイヨン・リズムであり、サンバは特長あるアクセントをもつ2/4拍子のダンス音楽で、主として民族的な打楽器によって演奏され、リズムにのせて風刺的な、あるいは性的な寓意をこめた歌を歌う。
この映画の音楽はブラジルの代表的作曲家で名ギタリスト、ルイス・ボンファと、アントニオ・カルロス・ジョビンが担当した。大群衆が歌い踊るサンバの熱狂的な場面では、古いブラジル民謡とジョビンが作曲した「フレヴォ」を現地録音した。
オルフェがギターを弾いて歌う主題歌の「カーニバルの朝(黒いオルフェ)」(果てしなく幸せははかない 朝つゆの玉のように)がもっとも名高く、ボンファの曲。本来はサンバ・カンシオンの形で作られたが、ボサノヴァにアレンジされて演奏することが多い。
タイトルバックおよびモロの部落でオルフェが歌う「フェリシダージ(悲しみよ、さようなら)」はジョビンの作。ボサノヴァのリズムで作曲され、ボサノヴァが世界的なブームを呼ぶ引き金になった。

ボサノヴァとは「新しいコブ」を意味する音楽運動であり、それまでの在来のブラジル音楽にモダン・ジャズのセンスを取り入れ、時代にマッチしたモダンなハーモニーの音楽を作ろうとした。この傾向は1962年ごろにはじまり、まずモダンなサンバが生まれた。ジョビンはビリー・ブランコと共同で1955年に「太陽の讃歌」という曲を発表。これが最初の完成された形のボサノヴァとみなされている。ジョビンは歌手ジョアン・ジルベルトらとこの運動を押し進め、「ジサフィナード」「ワン・ノート・サンバ」が流行のきっかけになり、ブラジル・ポピュラー音楽界を支配するほどの成功を収めた。
「黒いオルフェ」の「悲しみよさようなら」は全世界で大ヒット。日本にはじめて紹介されたボサノヴァとなった。つづいてジョビン作曲「コルコヴァード」が1962年に、「イパネマの娘」が1963年に大ヒットした。
カルナバルの練習場面でコーラスされるのは「オー・ノッソ・アモール(カルナバルのサンバ)」。ラストでギターとソロ、子供たちが朝日に向かって歌う「オルフェのサンバ」は印象深いボンファの作。
サントラ盤は発売以来30年、日本でもラテンの名盤として永遠のベストセラーを続けている。(ボサノヴァに関する部分は永田文夫著「ラテン/タンゴ」(誠文堂新光社刊1966年)より引用)